ブリュッセルの地下鉄で、試合の日に紫のマフラーを見かけることがあります。降りる駅はサン・ギドン。地上に出て住宅街を少し歩くと、アストリッド公園という緑地の一角に、スタジアムが突然現れます。首都の一等地というより、ごく普通の街角にある、という印象です。
ところがこのクラブは、ベルギーで「国民クラブ」と呼ばれることがあります。ブリュッセルのクラブなのに、なぜ国全体を冠するような呼び方をされるのでしょうか。これまでの街とクラブカラーの特集では3都市ずつ歩いてきましたが、今回は1つの街と1つのクラブに絞って、その理由を一緒に見ていきたいと思います。
1908年、カフェの一室から
RSCアンデルレヒトの始まりは、1908年5月27日にさかのぼります。ブリュッセル首都圏を構成する自治体のひとつ、アンデルレヒトのカフェ「コンコルディア」に集まった十数人のサッカー好きが、「スポルティング・クラブ・アンデルレヒトワ」を立ち上げました。創設25年目の1933年に「ロワイヤル(王立)」の称号を得て、いまの名前になっています。
意外に思われるかもしれませんが、初期のアンデルレヒトは強豪とは言いがたいクラブでした。1921-22シーズンに初めて1部に上がったものの、1923年、1926年、1928年、1931年と4度も降格しています。ただ、1935-36シーズン以降は一度も1部を離れていません。そして戦後すぐの1946-47シーズンに、ようやく初めてのリーグ優勝を手にします。ここから、あの「紫と白」の歴史が始まったわけです。
「34」という数字の重さ
アンデルレヒトのリーグ優勝は、通算34回。ベルギー国内で群を抜く最多記録です。2位のクラブ・ブルージュが20回ですから、その差は14。優勝を積み重ねてきた期間の長さと密度が、まったく別の次元にあることがわかります。
とくに象徴的なのが、1963-64から1967-68にかけての5連覇です。これはいまもベルギーリーグの記録として残っています。この時代の中心にいたのが、ポール・ファン・ヒムストという選手でした。彼はアンデルレヒトの選手として8度の優勝を経験し、のちに監督としてもクラブにタイトルをもたらしています。ベルギーで「サッカーの象徴」と言えばまずこの名前が挙がることが多いのですが、その象徴が紫のシャツを着て育ったという事実は、クラブの立ち位置を語るうえで欠かせないのだと感じています。
ヨーロッパの舞台で、国の顔になった時代
国内で強いだけなら、「首都の強豪」で終わっていたかもしれません。アンデルレヒトが特別視される理由のひとつは、ヨーロッパの大会でベルギーを代表する存在になったことにあると私は思っています。
1976年、カップウィナーズカップ決勝でウェストハムを4-2で下して初のヨーロッパタイトルを獲得。1978年には同じ大会でアウストリア・ウィーンを4-0で破り、2度目の栄冠を手にします。どちらの年もUEFAスーパーカップを制していて、1976年の相手はバイエルン・ミュンヘン、1978年の相手はリヴァプールでした。さらに1982-83シーズンにはUEFAカップも制しています。ヨーロッパの主要タイトルが合計5つ。ベルギーのクラブでこれだけの記録を持つところはほかにありません。
この黄金期を支えたのが、1971年から1996年まで会長を務めたコンスタン・ファンデン・ストックという人物です。彼の在任中にリーグ優勝10回、ヨーロッパタイトル5つ。1983年に建て替えられたスタジアムが長く彼の名前を冠していたのは、そうした背景からだと思います。
ブリュッセルという街と、紫の関係
ここで、本拠地の話に戻りたいと思います。アンデルレヒトが1917年から使い続けているスタジアムは、アストリッド公園の北西の角にあります。この公園はもともと「メール公園」と呼ばれていましたが、1935年に王妃アストリッドを偲んで改名されました。スタジアムの名前も、当初の「エミール・フェルセ・スタジアム」から、1983年の建て替えで「コンスタン・ファンデン・ストック・スタジアム」に、そして2019年からはスポンサー名の「ロット・パーク」へと変わっています。100年以上、同じ場所で試合をしているというのは、それだけで街との結びつきの深さを物語っているように感じます。
そしてもうひとつ、見逃せないのが「ブリュッセル」という土地の性格です。ベルギーにはオランダ語圏とフランス語圏があり、多くのクラブはどちらかの側に属しています。ところがブリュッセルは両方の言語が公用語として使われる首都です。クラブの愛称も、オランダ語では「パース・ウィット」、フランス語では「レ・モーヴ・エ・ブラン」——どちらも「紫と白」という意味で、両方の言葉で呼ばれています。言語の境界線をまたぐ場所に本拠地があるからこそ、国のどちらの側からも「自分たちのクラブ」と見なされやすかったのではないでしょうか。
「別格」は過去形なのか
正直に書いておきたいのですが、いまのアンデルレヒトは苦しい時期にあります。34回目の優勝は2016-17シーズンで、それ以降リーグ優勝から遠ざかっています。この間にクラブ・ブルージュがタイトルを重ね、2024-25シーズンには同じブリュッセルのユニオン・サン・ジロワーズが、1935年以来90年ぶりの優勝を果たしました。首都の主役が入れ替わったかのような見方をする人もいるようです。
それでも、「国民クラブ」という呼び名がすぐに消えるわけではなさそうです。優勝回数の差は簡単には埋まりませんし、ヨーロッパでの5つのタイトルは記録として残り続けます。そして何より、100年を超えて同じ公園で試合を続け、二つの言語で愛称を持つという条件は、ほかのクラブがこれから作ろうとしても作れない種類のものではないかと思っています。
「国民クラブ」という言葉を、私はこう受け取っています
サン・ギドン駅から公園へ向かう道は、観光客が歩くブリュッセルとはまったく違う顔をしています。パン屋があり、学校があり、紫のマフラーが混じる。そこにあるのは、大きなクラブというより、街に長く居座ってきたクラブの姿です。
だから私は、「国民クラブ」という言葉を、勝ち続けたクラブへの称号というより、「国の真ん中に、ずっとあり続けたクラブ」への呼び名として受け取っています。順位表の上でいまどこにいるかとは別に、次にアンデルレヒトの試合を見かけたときには、その紫が背負っている100年の重さを、少しだけ思い出してもらえたら嬉しいと感じています。