契約が切れた選手は、自由に次のクラブへ移れる——。今の欧州サッカーでは、当たり前すぎて誰も疑問に思わない仕組みだと思います。夏の移籍市場で「フリーで加入」というニュースを見ても、私たちは特に驚きません。
ですが、この「当たり前」には出発点があります。それは五大リーグの華やかなスタジアムではなく、ベルギーのリエージュという街でした。一人の選手が自分のキャリアを賭けて起こした裁判が、欧州サッカー全体のルールを書き換えてしまった。今回は、その「ボスマン判決」の話を一緒にたどってみたいと思います。
1990年、リエージュで起きたこと
ジャン=マルク・ボスマンは、ベルギー1部のRFCリエージュに所属するミッドフィルダーでした。1990年、彼はクラブとの契約が満了を迎え、フランス2部のダンケルクへの移籍を望みます。決してスター選手ではありませんが、まだ20代半ば。新天地でキャリアを続けたいと考えるのは、ごく自然なことだったはずです。
ところが、この移籍は成立しませんでした。当時の制度では、契約が切れた選手であっても、移籍先クラブは元のクラブに移籍金を支払う必要があったのです。RFCリエージュが求めた条件をめぐって話がまとまらず、移籍は白紙に。しかもボスマンは、残留の条件として給料を大幅に引き下げられたと伝えられています。移籍もできない、待遇も切り下げられる。彼はこの状況を不服として、法廷に持ち込む決断をしました。
「契約が切れても、自由になれない」仕組み
ここで立ち止まって、当時のルールを整理しておきたいと思います。現代の感覚からすると、少し信じがたい仕組みだからです。
- 契約が満了しても、選手の登録は元のクラブが握ったままで、移籍には移籍金が必要だった
- 移籍金の額は実質的に元のクラブ側の言い値に近く、話がまとまらなければ選手は動けなかった
- さらに当時のUEFAには、欧州カップ戦で外国籍選手の出場を制限するルール(いわゆる「3+2ルール」と呼ばれるもの)があり、EU域内の選手であっても「外国人」として枠に数えられていた
つまり、選手は契約が切れてもクラブの資産のように扱われ、しかも国境を越えるキャリアには国籍の壁まであった。労働者としてはかなり不自由な立場に置かれていた、と言えるのではないかと思います。
1995年12月15日、欧州司法裁判所
ボスマンの訴えは、ベルギー国内の裁判所を経て、最終的に欧州司法裁判所(European Court of Justice)へたどり着きます。争点はシンプルでした。EUの基本条約が保障する「労働者の移動の自由」に、サッカーの移籍制度は違反していないのか——という点です。
そして1995年12月15日、判決が下されます(事件番号C-415/93)。裁判所の判断は、大きく二つでした。
- 契約満了後の選手がEU域内の別の国のクラブへ移る際に、移籍金を要求することは認められない
- EU加盟国の国籍を持つ選手を「外国人枠」で制限することも認められない
提訴から判決まで、実に5年。その間、ボスマン自身の選手としてのキャリアは事実上止まってしまいました。判決は彼に勝利をもたらしましたが、彼自身がその恩恵を受けてピッチで輝くことは、もうできなかったのです。欧州中の選手が彼の名前を冠したルールで自由を手にした一方で、本人はその後、経済的にも苦しい時期を過ごしたと伝えられています。この落差を思うと、簡単に「歴史的勝利」と言い切ってよいものか、少し考え込んでしまいます。
サッカーは、何が変わったのか
判決の影響は、すぐに現れました。契約満了で移籍金ゼロのまま移る、いわゆる「ボスマン移籍」の誕生です。1996年にはエドガー・ダーヴィッツがアヤックスからミランへ、1999年にはスティーヴ・マクマナマンがリヴァプールからレアル・マドリードへ、いずれもフリーで移籍し、大きな話題になりました。
変化はそれだけではありません。クラブは選手を契約満了で失いたくないので、長期契約を結び、契約が残っているうちに売却するようになりました。選手側の交渉力は上がり、年俸も上昇していきます。そして外国人枠が撤廃されたことで、資金力のあるクラブはEU中から選手を集められるようになりました。今のビッグクラブの多国籍な顔ぶれは、この判決なしには存在しなかったのではないかと思います。良い変化も、格差の拡大のような難しい側面も、すべてここから始まっています。
なぜ、ベルギーだったのか
それにしても、なぜこの事件はベルギーで起きたのでしょうか。偶然と言ってしまえばそれまでですが、私は必然の要素もあったように感じています。
ボスマンが望んだのは、リエージュから国境を越えてすぐのフランスのクラブへ移ることでした。ベルギーでは、国境を越えるキャリアが特別なことではありません。オランダ、フランス、ドイツに囲まれたこの国では、選手の移動はいつも国際移籍と隣り合わせです。だからこそ、「国境を越える自由」と「移籍制度の不自由さ」がぶつかる場面が、ここでは他の国よりも起こりやすかったのではないでしょうか。
このサイトではこれまで、ベルギーリーグを「経由地として構造化されたリーグ」として見てきました。ボスマン判決は、その見方をもう一段深めてくれる気がします。ベルギーは、選手が通過していくだけの場所ではなく、欧州サッカーの制度そのものが交差し、ぶつかり、書き換えられた場所でもあった。「弱いリーグ」という一言では到底くくれない重みが、この国のサッカーには埋まっているのだと感じています。
リエージュの街でこの歴史を思い浮かべながら試合を観る日が、いつか来るかもしれません。そのとき、スタジアムの景色は少し違って見えるのではないかと思っています。